『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』 レビュー  

 奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』 レビュー  

 

f:id:TELL_yang_Wenli:20190828092637j:plain


 皆さんこんにちは。

 

 今日は、先日(2019/8/23)に販売を開始した『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』の紹介をしたいと思います。

 何分、このような記事を立てるのは初めてであり、至らぬ点も多いかと思われます。

 暖かい目で見ていただければ私としても幸いです。

 

 

 

 

 

なぜこの本が生まれたのか?

 

 この本は著者である三崎律日(みさき・りつか)氏がニコニコ、youtubeにおいて、動画投稿者「Alt + F4」の名義で投稿している動画シリーズ『世界の奇書をゆっくり解説』における内容を加筆修正し、さらに動画媒体としては現在(2019/8/28)投稿されていない二つの書籍「ジョナサン・スウィフト 著 『穏健なる提案』」、「椿井政隆  著 『椿井文書』」の解説を加えたものです。

 

 私自身、三崎律日氏、もといAlt + F4氏の動画シリーズを、この書籍の発表される以前から拝見しておりましたが、この度、書籍媒体として『世界の奇書をゆっくり解説』シリーズの内容を手に取って眺める日が来るとは夢にも思っていませんでした。

 

この本における「奇書」とは?

 

 この本の内容を説明するためには、この本における“奇書”の定義について説明しなければなりません。

 

 日本には「三大奇書」と称される推理小説があります。「夢野久作 著 『ドグラ・マグラ』」、「小栗虫太郎 著 『黒死館殺人事件』」、「中井英夫 著 『虚無への供物』」がそれです。

 いずれも、科学的、論理的な検証による謎の解明、その思考の過程の華麗さを掲げる「推理小説」にあるまじき内容のものばかりですが、これらの小説は共通して「作者によって“奇書たるべし”として産み出された本」である、ということにあります。

 

 しかし、『奇書の世界史』は上記の小説のどれも紹介していません。

 『奇書の世界史』では、作者自身の思惑すら超えて、時代の「価値観」によって評価が変わった、あるいは「価値観」そのものを変えた書物を紹介します。

 言うなれば「“奇書として生まれた”書物」ではなく「“奇書となってしまった”書物」を解説するのがこの本の主旨です。

 

“奇書”を探ることの意味とは?

 

 では、“奇書”となってしまった”書物を探ることに何の意味があるのでしょうか。

 

 この本において紹介される“奇書”たちは、「作者」によってではなく「時代の価値観の変化」によって“奇書”と位置付けられました。

 「価値観」を「善悪の基準」と言い換えても構いません。

 

 人類は新たな発見をするごとに、既存の善悪のラベルを、新しいものに張り替える作業をしてきました。

 

 “奇書”とは、時代のある点においては「善い」とされていたが、時代を経て「悪い」とされた書物、あるいは逆に、過去において「悪い」とされていたが、現在は「善い」という評価をうける書物という意味です。

 

 彼ら“奇書”を探ることは、「過去」における価値観と「現在」における価値観の変化を知ることであり、同時に現在」における価値観が、必ずしも「未来」において正しいとは限らないということを実感することでもあります。

 

(考察)「革命」 価値観のターニングポイント

 

ここからは、本書を読んだ私の考察を披露していきます。

 

 この本において解説される“奇書”たちはその時代における「価値観」によって翻弄された書物たちですが、その中でも多くの“奇書”たちの評価にかかわってきた、二つの「価値観」の基準軸が存在します。

 それが、「宗教」と「科学」となります。

 

 “奇書”が生まれるとすればそれは「価値観のターニングポイント」です。

 そして、人類社会全体に影響を与える大きな「価値観のターニングポイント」、それを我々は「革命」という言葉で表現することがあります。

 

 イスラエル人の歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏は自身の著書『サピエンス全史(上) ━文明の構造と人類の幸福』において、このような記述をしています。

 

 歴史の道筋は、3つの重要な革命が決めた。約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2千年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。3つ目の革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分にある。

   _______『サピエンス全史(上) ━文明の構造と人類の幸福』 P.14

 

 「科学」の出現はそれまであった既存の「価値観」を全く新しいものにしました。

 それは、ただ単なる技術の躍進にとどまらず、「宗教」が作る世界観、「神」という存在など、不可侵とされてきた「価値観」に対しても解析的なメスが入れられることになります。

 

 そして「科学」という一点から始まった「革命」の波は、「宗教」という「価値観」を崩した後さらに、自らを「神」格化し、権力の行使者としての立場を築いていた「王」や「皇帝」といった者たちに対しても波及して、その権勢を弱め、「自由」や「平等」といった新たな「価値観」を生み落としました。

 

 このように見てみると、「科学」という「革命」の前後における「価値観」の転換はすさまじいものがあります。

 まさか、「ガリレオ・ガリレイ」や「アイザック・ニュートン」、「エドモンド・ハレ―」が後に起こる「フランス革命」を予言して科学を進歩させたとは思えません。

 しかし、彼らの研鑽によって人類が発見した「天と地、神の世界と人の世界が、同じ法則で動いている」という考えは、我々が今生きる社会が存在するという事実によって証明できます。

 

 そして、彼らが産み落とした「革命」の引き金になった考えは、“奇書”という形で今も我々の世界を支えています。

 

(まとめ) これから生まれる“奇書”とそれが写す「未来」

 

 人類が発展していき、その「価値観」が変化していくとき、大なり小なり“奇書”は生まれます。

 そしてそれはこれからも変わらないはずです。

 人類の歴史が続き、「現在」と「未来」に自らの思想を残そうとする人々がいる限り、時代の「価値観」によって評価を変えたり、「価値観」そのものを変化させる“奇書”という存在は、書き手の思惑を大きく外れて、思いもよらぬ方向へと世界を変えることもあるでしょう。

 

 そんな“奇書”たちが作る「未来」の「価値観」の転換を知るために、常日頃から“奇書”の卵である「本」に触れる重要性を『奇書の世界史』は教えてくれます。

 

 たとえばあなたが、中世ヨーロッパの行商人だったとしましょう。丘を越えて隣の町まで商売行く途中だったとしましょう。歩き疲れたあなたは少し立ち止まり、地図を広げたとします。もしそのとき「1時間前に自分がいた場所」と「いまの場所」が分かっていれば、1時間後にどこまで進んでいるかも予測ができます。

 同じことが、人間の「価値観」にも当てはまります。過去の価値観といまの価値観との違いが分かれば、将来の価値観も見えてくるはずです。

 本書ではそのような「価値観の差分」を探ることに挑戦しています。そして奇書が教えてくれる「価値観の差分」を使えば、未来の私たちを占うこともできるでしょう。

   ______『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』 P.5

 

(おまけ)動画と書籍 その比較 

 

※ここからは『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』と、『世界の奇書をゆっくり解説』シリーズを合わせた考察となります。

 

 

 『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』は、出版社も予想できなかった高い評判を呼んでます。

 こういった「動画媒体」から「書籍媒体」への異例の参入ということに付け加えてこの快調な滑り出し...何故このような需要を生んだのでしょうか?

 

 それを紐解くには「動画」「書籍」(ここでは、電子書籍は除いて考える)の二つの媒体のそれぞれの特徴を知る必要があります。

 

動画 「学ぶこと」の敷居の低さ、「分かりやすさ」

 

 「動画」、とくに「ゆっくり解説」などの解説動画は、24時間365日、好きな時にPCやスマホがあれば見ることができます。

 さらに、それらのコンテンツはほとんどが無料で視聴できるというのも利点です。

 

 そして最大のメリットが、「分かりやすい」ということ。

 

 人間は「書き言葉」よりも、「話し言葉」の方が、簡潔で分かりやすいと感じる生き物です。

 書物は、「話し言葉」で記すと文体が滅茶苦茶になったりしますが、「動画」は「聴覚」から仕入れる情報もあるので、「話し言葉」として少ない言葉で情報を伝えることができます。

 さらに、「言葉」だけじゃなく、サウンドなどで動画内で流れる雰囲気を強調したり、変えたりもできます。

 

 また、「動画」という字のごとく「動く画」は、静止画を見るとき以上に、脳に刺激を与え、記憶に焼き付けます。

 

 

f:id:TELL_yang_Wenli:20190828155747p:plain

 

 これは、『世界の奇書をゆっくり解説』において流れた画像ですが、「ページをめくる音」、「インクの落ちる音」、「雰囲気を盛り上げるBGM『ベラドンナ』」etc....

 「画像」とそれと一緒に我々に届いてくる「音」、それら全てがこの「動画」の価値を引き出しています。

 

書籍 「手に取れる」という実感と安心感

 

 「動画」はおもに「五感」における「視覚」と「聴覚」に強く働きかけるという特徴があります。

 

 では、「書籍」の特徴とは?

 

 それは「五感」で言うところの「味覚」以外のすべてに働きかけるということです。

 

 装丁や紙、活字を鑑賞できる「視覚」、紙を触ることによって直接的に感じることができる「触覚」、ページをめくることによって空気を通して感じる「嗅覚」、ページをペラペラとめくることで聞くことができる「聴覚」

 

 これらすべては、「実体のない」知識や知恵というものを「実体」として、所有者を満足させます。

 

 

f:id:TELL_yang_Wenli:20190828092637j:plain

 

 この本の装丁は、ヘラルト・ファン・ホルストの絵画「コンサート」を元に、ブックデザイナーの三森健太氏がデザインしたもので、本の内容にマッチした味のある絵が、本書を包み込んでいます。

 各章に挟まれる挿画は、畠山モグ氏が担当しており、本文の内容を的確に一枚に表した挿画が、その章の冒頭に「顔」として存在感を出しております。

 

 また、本書のカバーにはマット加工の、三崎氏曰く「人肌に限りなく近い」表紙が使用されているのも特徴です。

 

 このように形の無い「知識」や「知恵」というものを「実体として所有する」という楽しみを「書籍」は秘めています。

 

(最後に)『奇書の世界史』は“奇書”になりえるか?

 

 「動画」「書籍」、これらの特徴を踏まえたうえで、改めて見てみると、『世界の奇書をゆっくり解説』動画シリーズの視聴者が、『奇書の世界史』の読者に変貌するのはむしろ必然だという結論が見えてきます。

  動画シリーズの視聴者の中でも本をは、通常であれば足踏みをする本の購入という部分に対して、とっつきやすい一つの宣伝としての「動画」に興味を持つことで、その「書籍の購入」までのハードルが下がるのですから、人気が生まれるのは当然です。

 

 さて、“奇しくも”「動画媒体から書籍媒体」へのこの一連の流れが、思わぬ需要を生み出すということを「証明」してしまったのが『奇書の世界史』なのですが...

 

 今の現代社会において嘆かれていることの一つに「若者の活字離れ」があります。

 その理由の一つが、「情報化社会の発達によって、情報や知識を手軽に、労せずに、手に入れられるようになったから」というものです。

 

 では情報化社会の産物である「動画」と、情報化社会に脅かされている「書籍」。

 これら二つを繋げることで、それぞれの価値をより引き出すことができるという、今までにない「価値観」を発見してしまった『奇書の世界史』...

 

 しかし、これだけでは『奇書の世界史』は“奇書”たりえません。

 これは「証明」に過ぎず、これから先、「第二、第三の『奇書の世界史』」が生まれることを実証したとき初めて『奇書の世界史』は立派な“奇書”となりえるのです。

 

 

 では、最後まで読んでくださった皆様に質問です。

 

 『奇書の世界史』は、“奇書”になりえると思いますか?

 

 

参考文献

 

『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』 著:三崎律日 株式会社KADOKAWA

 

『サピエンス全史(上)/(下) 文明の構造と人類の幸福』 著:ユヴァル・ノア・ハラリ 訳:柴田裕之 株式会社河出書房新社

 

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』 著:ディヴィット・S・ギター&ノア・D・オッペンハイム 訳:小林朋則

 

三崎律日氏(Alt + F4氏)の動画URL

 

ニコニコ動画https://www.nicovideo.jp/mylist/56168136

 

youtube         :https://www.youtube.com/channel/UC_kiSblCnh6A_kFsEcB7JfQ/video